建築学科の卒業生が地元住民とともに創造する、新しい団地暮らしのかたち

かつて高度経済成長期に日本の大都市圏に誕生した団地。当時の先進的な設備が導入されていたこともあり、団地に暮らすことは憧れの的であった。1972年に京都府の南西部、八幡市に誕生した男山団地もその一つ。大阪市と京都市の中間に立地することから、最盛期には29,068人(1985年)が暮らした日本有数のマンモス団地だが、他の団地と同様、少子高齢化が進んでいる。

今回は、地域コーディネーターとして、その男山団地の活性化に携わる辻村修太郎さん(環境都市工学部建築学科 卒業)を訪ねていろいろとお話を伺いました。学生時代から現在までこのプロジェクトに関わり続ける辻村さんとは、いったいどんな人なのでしょう? 

9時半。辻村さんと待ち合わせたのは団地内の小さな商店街エリアにあるコミュニティ拠点「だんだんテラス」。しばらくするとこの「だんだんテラス」の前にあちらこちらから人が集まり、10時になるとラジオ体操が始まりました。

マスクをしながらのラジオ体操も、この地域では見慣れた光景。

コミュニティ拠点「だんだんテラス」

――ラジオ体操終了後にはスタンプがもらえるんですね。子どもの頃の夏休みを思い出しました! ラジオ体操もだんだんテラスが運営しているのですか?

「コロナ禍でサークル活動やワークショップ、イベントなどは開催を断念しましたが、ラジオ体操だけは安全に配慮しながら、毎朝続けています。『だんだんテラス』の活動自体は試行錯誤の繰り返しなんですが、ここに毎日誰かが常駐し、開け続けることだけは決めていたんですよね。この『だんだんテラス』自体も、開室時間を午前中だけとしながらも、201311月にオープンしてから7年半、1日も閉室したことがありません」

お手製のスタンプカードでハンコをためていきます。

――365日常駐されているのはすごい…。普段はどんな活動をされていたんでしょう。

「地元農家の新鮮な野菜を販売する朝市や手づくり市、食事会や持ち寄りバー、句会や親子ヨガ、工作教室など、住民の皆さんの声に耳を傾けながら、いろんな活動をしてきました」

――地域にそんな場があると、生活が豊かになりそうですね。そもそも「だんだんテラス」誕生のきっかけは何ですか?

「僕が大学4年次生から大学院2年次に所属していた江川直樹教授の建築環境デザイン研究室では人が集まって住む環境(集住環境)をテーマにしていたんですが、そのなかで男山団地を中心とする地域の再生や活性化に取り組んだことがきっかけです」

地域の人が参加するだんだん句会も定期的に開催されていた。

「気軽に立ち寄れる場所がほしい」という住民の願いをかたちに

――なぜ、男山団地で研究プロジェクトが?

「この男山団地には、八幡市の人口約7万人中のうち、約1万人の方が住んでいます。当時の住宅都市整備公団(現在のUR都市機構)の開発から半世紀。建物の老朽化が進み、空き家が増えているにもかかわらず、新しく建て替えることは簡単ではありません。そこで、今ある空き家をうまく活用して持続可能な形に変えていけないかと、八幡市やUR都市機構と協働することになったんです」

――つまり、空き家をリノベーションすることですか?

「それも一つの大きな柱です。現在も毎年、対象の住戸や間取り、エリアやテーマを変えてリノベーションを進めています。私や大学生、大学院生らは、日々だんだんテラスに常駐して、住民らと日常の生活について話をしながら、団地の未来像や理想像を思い描いています。大学で建築デザインの勉強はしてきたものの、実際の住人から意見を聞く機会がなかったからすごく新鮮で、リノベーションする空き家の図面の外側まで含めて、総合的に設計に組み込んでいくことの大切さを感じました」

隣り合った2戸をリノベーションし、ベランダを通路とし行き来できるつくりになっている。テーマは「2戸セットで借りる暮らしの広がり」。

こちらの住戸は「インナーガレージのある住まい」がコンセプト。玄関横の部屋をガレージスペースに仕上げており、アウトドア好きな人に人気がありそう。

――図面の外側まで…というのは?

「例えば、初年度は子育て世帯を対象としたリノベーションを提案したんですが、各住戸だけで完結するのではなく、近くにある集会所の1室を子育て支援の先生と親子が集まれる場所にする計画も盛り込んだのです。それに合わせて、屋外の工作物なども工夫しました。

その過程で、『地域のなかに気軽に集まれる場所がほしい』という希望は、あらゆる世代の方が口を揃えておっしゃっていたんです。それを八幡市やUR都市機構の方と共有したときに返ってきたのは『集会所や公民館など、皆さんに使ってもらえるスペースはあるんだけどな』という返事でした。確かに住民が集まる集会所や公民館はあるのに、住民側にはそれらを活用されていない…この矛盾に興味をもったことが、『だんだんテラス』をつくる大きなきっかけになりました。いろいろと話を聞き進めていくと、集会所や公民館のような施設は、事前の申込みが必要で、グループ等に所属していないと使えなかったんですよね。だけど、実際に困っているのはどのグループ等にも所属していない人たちでした。例えば、団地に引っ越してきたばかりの人やこれまでお仕事をされていて地域内でのつながりがなかった人たちです。誰もが気軽に集まれ、これからの団地についても話せる場所が必要だと考え、2013年、修士課程2年次生のときに準備を始め、その年の11月にオープンさせました」

――ふらっと立ち寄れるような場所が求められていたと。生活者と向き合うことで、今の団地に必要なものが見えてきたんですね。

「だんだんテラス」開設当時(前列中央が辻村さん)。

身近なのに知らなかった「団地」に興味をもって研究へ

――もともと団地に興味をもたれたきっかけは何だったんですか?

「僕は千里ニュータウンや関西大学のある吹田市の出身で、近所に196070年代に計画された団地がたくさんありました。ただ、僕は古くからある集落に住んでいたので、団地は身近にあったものの、そこでの生活体験はありませんでした。大学で江川教授の研究室に所属したところ、4年次生の時に3週間ほどヨーロッパへ団地の調査に行く機会がありまして…本来は大学院生しか参加できないものだったんですが、大学院への進学が決まっていたので、特別に同行させてもらえたんです。イギリスやオランダ、ドイツと訪れた中でも、特に世界遺産にもなっているベルリンの団地の美しさに驚いて…。建物も植栽も手入れが行き届いていて気持ちが良く、単純に住みたいと思える魅力があったんですよね。『日本の団地をもっと魅力的にしたい』と強く思うきっかけになり、男山団地の研究プロジェクトへの参加を決めました」

調査で訪れた世界遺産ベルリンの団地。ゆるやかなアーチを描くたたずまいの「ブリッツ・ジードルンク」。

ヨーロッパでの海外調査にて。「単純に“住みたい!”と思える団地がたくさんあって驚かされました」と話す辻村さん。

――「住みたい!」と思える団地づくりがスタートですね。それがデザイン的な部分だけに留まらず、コミュニティ作りのための「だんだんテラス」にも派生したのが面白いですね。

「だんだんテラスのスタート時点では毎日開けることしか決まっていなくて、浮き輪なしで海に放り込まれた感じでしたよ (苦笑)。まずは、外から中の様子をじっと見つめる住民を招き入れ、会話の中から住民からの意見を拾い上げ、記録していきました。それを続けていくうちに、徐々に人が訪ねてきてくれるようになりました。半年ほど経ち、『だんだんテラスの会』という運営組織を作って、「だんだんテラス」をどう活用したいかを、住民と一緒に考えながら決めていき、いろんなサークルや活動が生まれていきました」

――対話のなかから活動内容が決まっていったんですね。

「そうですね。住民の皆さんと関大生に加え、八幡市やUR都市機構の職員の方も集まって、男山地域を良くするために、みんなが楽しみながらできることを考える『やってみよう会議』を毎月1回、開催しています」

月1回開催される『やってみよう会議』。

――だんだんテラスの運営で特に大事にしていることは?

「とにかく、毎日開室することと特定の住民だけで占有しないこと…この2つぐらいですね。風通しの良さは重要なキーワードです。人が集まりやすいけど、滞留しないよう心がけています。最初は『来る住民のために開けなくては』と気負って考えていたのですが、次第に『開けてくれる私や学生のために来なくては』という住民の気持ちに気が付き、「開けること」に対して心境の変化がありました。」人々の生活の中には、相互的な合理性があるということなのかもしれませんね。

誰もが気軽に出入りできるように、オープンな設え。

入り口では、自家製の野菜が販売されている。

「だんだんテラス」に隣接して工房もあり、住民も思い思いのものを作ることができる。

工房のほとんどの道具は住民からの寄付だそう。

長く関わり続けるため、研究室のOB・OGたちと一般社団法人を設立

――「だんだんテラス」は立ち上げた時点で、学生生活も残りわずかでしたよね。

「学生としていられる331日までやり切ろうと決めていたので、就職活動もしていなかったんですよね(苦笑)。全てをやり切ってから、就職のことを考え始めようと思っていた3月下旬、江川先生に気持ちを確認されまして…このプロジェクトにかかわり続けたい意志を伝えました。そこから、いろんな方々の力を借りながら、地域づくりを支援し、長く関わり続けられるよう、他地域で同様のプロジェクトに関わる江川研究室のOBOGたちと一緒に、一般社団法人カンデを立ち上げました。『カンデ』は江川研究室の正式名称「建築環境デザイン研究室」の略称なんですよ。親しみやすい名前がいいねと、すんなり決まりました」

――大学時代に携わったプロジェクトに、関わり続けられる仕組みをつくろうと?

「カンデの代表理事は、男山団地のプロジェクトの以前から、兵庫県丹波市で『関わり続ける定住』をテーマに研究活動をされていた江川研究室の先輩、出町 慎さんなんです。大学が地域振興のプロジェクトに関わることはよくあることですが、住民からすると『(学生はいつか卒業してしまうから)ずっといてくれないじゃない…』って言われちゃうことが結構あるんですよね(苦笑)。大学として長く関わり続けることって、どの研究室にとっても課題ですので、そのための組織体をつくるのが大きな目的でした」

――関わり続け、開き続けることで見えてくるもの、より良くできることもあるでしょうしね。

「ラジオ体操の参加者について言うと、コロナ前は平均15人ほどだったんですが、コロナ禍を機に、昨年の緊急事態宣言が明けた6月は40人以上に急増しました。人と会うためだけでも、毎日開ける意味があるんじゃないかなと。何か困ったことがあったら、あそこに行ったら解決するかも、不安なことがあったら、誰かに話すことができるとか。毎日開いていることが、安心に繋がるといいなと思っています」

取材中にも、住民の方がチラシを貼ってほしいと訪れた。

「だんだんテラス」の入り口には、住民の方のお手製チラシで溢れる。

――あると安心する、灯台的なものになっているんですね。

「江川教授が退任された後は、他の研究室に移った建築学科の学生を中心としたメンバーと一緒に運営を進めていますが、ここで経験したことを卒業後、ほかの地域に還元することも、大きな意義があると思うんですよ」

「実際にだんだんテラスで住んでいる人と話すことで地域性が見えてきました。そういうことが建築では重要なのかと、建築に対する考えが変わりました」。そう話す理工学研究科修士課程の藤本さん(写真左)は、だんだんテラスの運営に、大学3年次生の頃から参加。

――ここで得たものを糧に、いろんなところで活動の幅を広げていくこともできますしね。

「地域の中に関大のOBOGの方がいて、協力の手を差し伸べてくれる方が結構いるんです。関大にも校友会はありますが、卒業後に研究でつながれる組織体がなかったので、カンデがその役割を果たせるんじゃないかと考えています」

――社会で活躍する関大人と関西大学をつなげる触媒みたいな役割も担っているわけですね。今後の目標は何ですか?

「関大生と住民のネットワークを大切に、長く関わり続けられる環境をつくっていきたいですね。建築学を学んだ僕としては、設計やデザインなどで貢献できたらと思っていますし、建築学にとどまらず、いろんな分野の学問と結びつけて新しいことができればなと。そういう部分でも、総合大学で学生数も多い関大にはいろんな可能性がありますし、学生のマンパワーも素晴らしい力になっています。情報や意見を交換しながら、いい集住環境をつくるにはどうしたらいいかを探究していくのがカンデの役割ですし、僕自身は、男山団地でその役割を担っていければと思っています」

一般社団法人カンデ 理事
男山地域コーディネーター
辻村修太郎さん

大阪府吹田市出身。関西大学 環境都市工学部 建築学科卒業。同大学院へ進学、博士課程前期課程 理工学研究科 ソーシャルデザイン専攻 建築学分野を修了。関西大学職員、行政の職員を経て、建築環境デザイン研究室のOBらと一般社団法人カンデを設立。地域コーディネーターとして京都府八幡市の男山団地にあるコミュニティ拠点「だんだんテラス」の代表を務め、男山地域の再生や活性化に取り組んでいる。