まるで村野作品のテーマパーク!? 日本を代表する近代建築家、村野藤吾建築の魅力を、橋寺知子先生がレクチャー!

2022年、開設100年を迎える千里山キャンパス。そこには、文化勲章も受章した日本を代表する建築家・村野藤吾さんが戦後間もない頃から手掛けた建物が今でもあります。村野藤吾さんとはいったいどんな建築家で、その作品にはどんな特徴があるのでしょうか。環境都市工学部建築学科の准教授で、近代建築の歴史・意匠を専門とする橋寺知子先生を案内役に、レクチャー編と見学編の2本立てでご紹介します!

佐賀県唐津市生まれの村野藤吾氏。

バラエティ豊かで、文化財的価値が高いと認められたものが多い村野建築

――村野藤吾さんといえば近代建築の大家というイメージなんですが、実際どういう方だったんでしょう。

「戦前からの作品もありますが、特に戦後、多くの作品を残してきた建築家です。同時期に活躍した建築家の一人に丹下健三さんがいます。丹下さんは公的な仕事が多かったのに対し、村野さんは民間の仕事がメイン。バラエティ豊かなものをつくっているのが特色でもあります」

――民間のほうが建物の種類も多岐にわたるでしょうしね。

「ホテル、事務所ビル、住宅、銀行、百貨店など、大阪を拠点にかなりの数の建築物をつくっていますからね。かつてのそごう大阪店(当時)や大阪・新歌舞伎座(当時)、東京・日生劇場などが有名ですし、駅や百貨店、ホテルに、劇場や映画館など、近鉄関連の仕事も多い。昔、芸能人が華やかに結婚式を行っていた、新高輪プリンスホテルも、村野さんの仕事です」

――日本の建築史における評価も、やはり高いんでしょうか。

「戦後の建築物で重要文化財になっているものは、そんなに多くないんですが、その中でも村野さんの携わっているものが結構あります。例えば世界平和記念聖堂(広島)は、戦後の建物として初めて重要文化財に指定されました。以降、増築部分を担当した日本橋髙島屋(東京)も重要文化財になっていますし、改修設計を行った迎賓館赤坂離宮(東京)は、明治期の建築で初めて国宝になっています。村野さんが手を加えたものは、文化財的価値があると認められたものが多いんですよ」

――それはすごいですね…!

「長い建築家人生だったので、手掛けた数も多いんですよね。1984年に93歳で亡くなるその日まで現役で活躍されていましたから。翌日の東京出張に向けて早めに退社し、自宅近くの宝塚ホテルで家族と食事をとって、その夜亡くなったそうです。亡くなる直前まで仕事をしていたなんて、幸せな最期だったと思いますよ」

――それは確かに、いい人生ですねぇ…。

橋寺先生の解説を聞いた後に、村野藤吾作品を見ると、見え方がガラリと変わります。

なぜか目が留まって飽きがこない…親しみがもてる建築や場所をつくる人

――橋寺先生から見て、村野建築のここがすごい!という部分は、どのあたりですか?

「なぜか目が留まって飽きがこないところですね。素材にこだわっていたり、階段やスロープ、手すりが凝っていたりと、細かいところに特徴があって、引き込まれます。かわいい…と言うと語弊がありますが、いかめしいものは少ない印象です。いろんなものをつくっているから、もちろん野太いものもありますが、親しみがもてる建築や場所をつくる人だったと思います」

――際立った特徴などはあったんですか?

「コンクリート打ちっぱなしといえば安藤忠雄さん、みたいなわかりやすさはないと思います。鉄筋コンクリートも扱えば木も鉄骨も使いますし、四角いものもつくれば丸いものもつくって幅広い。だけど目を凝らすと、村野建築らしいなと感じる部分がちりばめられている感じです」

やわらかな曲線を描く千里山キャンパス・簡文館の螺旋階段。階段の美しさも村野藤吾作品の特徴の一つ。

――よく見るとわかる味わいも魅力なんですね。橋寺先生の村野建築との出会いって、いつ頃ですか。

「子どもの頃によく行っていた、かつての兵庫県立近代美術館が村野建築だったんですよね。1階部分がガラス張りになっていて、スロープを上がると展示室へ行くつくりが変わっているなぁと、空間体験として感じていたんですが、関大入学後に村野さんの作品だったと知って。他にも本や作品履歴を見て、これも村野建築だったのか!と、自分の記憶を追うものがいくつもありました」

――気づかないうちに触れていた建築だったと。人としてもユニークな方だったんでしょうか?

「展覧会などで公開されている京都工芸繊維大学所蔵の図面を見る限り、凝り性なのは間違いないと思います。案を考えているときのスケッチなども見ましたが、もう真っ黒なんですよ()。他人が見てもわからないんですが、設計事務所の所員さんが見たらわかるらしく…。ずっと考え続けている人だったようです。所員さんによれば、ちゃちゃっと描いたスケッチにも魅力があって、そのあたりが人とは違うんだろうなとおっしゃっていました」

――それだけ引き出しの多い建築家だったんですね。

千里山キャンパスのように、30年間に渡り同じ場所の建築に関わり続けた事例は多くない

――村野さんが手掛けた千里山キャンパスの建築物についても教えてください。

「戦後間もない1949年から晩年の1980年にかけて、千里山キャンパス内に40棟以上の建物を設計し、その約半数が現存しています。丘陵地に建っているのがここの大きな特徴ですが、その時点ではまだ、第1学舎と第2学舎しかなかったので、どう広がっていくのかわからない状態で始めているはず。関大前駅の南口は標高25mですが、一番高い第1学舎だと標高50m。学部が増えていく構想は知らされていたんでしょうけど、ビル8階分ぐらいの高低差ができるとは想定せずにつくっていったと考えられます」

関西大学キャンパスマップを片手に解説してくださった橋寺先生。次回の見学編を乞うご期待!

――全体図を想像してつくっていたわけではなさそうだと。キャンパスのなかにある村野建築には一貫性があるんでしょうか?

「ないと思います。バラバラでもありませんが、第1学舎はレンガ色のタイルを貼っているのに対し、第3学舎も第4学舎も白っぽいですし。一中一高(第一中学校・第一高等学校)はスパニッシュ風だし、全部並べてみたらいろんな種類があります。ただ、学舎ごとのエリアではそろえているかなと。大学の建築物については、後ほど実物を見ながら紹介しますね」

第一中学校・第一高等学校

1950年、関西大学が千里山遊園跡地を取得したことで、天六キャンパスから移転することになった一中一高。まず建設されたのが、阪急千里線からよく見える現・高校校舎2号館です。前面のグラウンドは、千里山遊園時代の大グラウンドと観客席をそのまま利用。1957年竣工の中学校校舎1号館は、円弧上の小高い敷地を生かし、扇型の教室を配置しています。1980年に竣工された高校校舎1号館は、千里山キャンパスにおける最後の村野建築となりました。

――楽しみです!

30年間も同じ場所の建築に関わり続けた事例は、そう多くないと思います。近鉄さんとの関わりも長いですが、場所がバラバラですし。大学だと2018年に登録有形文化財となった甲南女子大学も村野建築ですが、千里山キャンパスほどの規模のものは、他にはありません」

――そういう面でも、貴重なんですね。

現存する近代建築を見ると、当時の街並みの片鱗が感じられる

――橋寺先生は、建築物の保存活動にも携わられていますが、村野建築に限らず、近代建築を後世に残す意義って、どのあたりにあると思われますか?

「古いものが大事という意味で残す保存もありますが、近代建築は100年も経っていないので、歴史的価値があるのかと問われることもあります。築80年とか60年とかって、すごく中途半端に思われるんですよね。だけど200年前に建てられたものだって、一気に200年経ったわけじゃありません」

――確かに…。壊した時点で、歴史は終わっちゃいますからね。

「戦前はどんな雰囲気だったのかとか、街並みとして残っていないところでも、当時からある建築物を見ると、その片鱗は感じられるところもあります。それに古代の建築だと、発掘された跡ぐらいしか残っていませんが、近代建築だと現実に存在しているので、研究対象としても、その意義は大きいです。とはいえ、最近では保存することの大切さに、市民の方が敏感なような気がします。町家も含め、古い建物を活用したカフェなども人気ですしね」

――そんなお店も増えましたよね。

「景観への意識も30年前とは全然違ってきていて、価値がないから壊そうよという意見の方が少ない。元銀行をリノベーションしたレトロ建築のレストランで食事をするなど、昔と今のギャップを楽しみつつ空間を体験するというのは、割とメジャーになりましたね。近代建築の見学ツアーなんかも人気ですし。私自身も、保存に向けた活動というより、今はツアーの案内などで魅力を伝える活動の方が多くなっています」

――みんなで一緒に楽しむような文化もできてるんですね。

2014年から「“イケフェス大阪”こと『生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪』というイベントが、開催されているんですが、毎年たくさんの方がお越しになっていますからね。秋の週末の2日間、普段非公開の場所を含めた大阪の魅力的な建築を無料公開するもので、千里山キャンパスもその一つ。コロナ禍により昨年と今年のイケフェスは、バーチャル開催がメインでしたが、それ以前は、普段立ち入りが難しい一中一高も含めて案内をした年もありました。他にもイケフェスでは、子ども向けのツアーなどにも取り組んでいます」

橋寺先生も関わる「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」は、魅力的な建築物を一斉公開する日本最大級の建築イベント。

――やはり体験できるというのは魅力ですよね。

「エレベーターがないビルも多く、狭かったり暗かったり、いま設計したらこうはつくらないよねみたいなのが逆に新鮮だったり。レトロ風のものはつくれますし、テーマパークなどでの疑似体験も面白いんですけど、本物の街なかに古くから建物が残っているのとは違います。写真はもちろん、今は昔の映像も多いので、行ってみると3D的に体感できるというか、『そのままやん!』と思えるのも楽しい()。予め歴史的なことを調べて見に行くのも面白いかもしれません。そんな難しいことを考えなくても、単に『わぁきれい!』『今とは違う!』とワクワクするのもいいですしね」

――いろんな楽しみ方ができますね。千里山キャンパスを見る目も変わりそうです!

<見学編に続きます!>

2021年度 関西大学と村野藤吾―第四学舎建築図面・写真・絵画展―」

第四学舎は、1950年代後半から60年代後半にかけ、村野により増築が行われてきました。当時の図面や写真、絵画などが展示されます。この機会をお見逃しなく!

  • 期間:2022214日(月)~226日(土)

      10:0016:00 ※入室は15:30まで

  • 会場:関西大学博物館(簡文館)特別展示室
  • 休館日:日曜、祝日
  • 入場料:無料

関西大学 環境都市工学部 建築学科
橋寺知子 准教授

関西大学大学院 工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。大学院在学中より明治期の建築界に注目し、西洋建築の移入・摂取の様子を主に文献資料から探ってきた。近年は近代の大阪に注目し、明治以降の大阪の建築と都市の形成について研究を進めるとともに、現存する近代建築・戦後建築の保存・活用に関する調査・研究を進めている。

ライター紹介

三浦 彩

ライター / ディレクター

企業等の広報物に加え、音楽誌や一般誌のカルチャーページ、新聞の連載企画やラジオ番組などの制作を通じて、著名人をはじめ多くのインタビューを経験。大学関連の広報物にも20年以上、携わり続け、今や子世代となった学生さんたちからも、取材の度に新鮮な感動をもらっています。