韓国人気作家の翻訳を手掛けた松岡先生が語る、朝鮮語を学ぶ面白さと大切さ

人気アイドルユニットやインスタ映えするスウィーツなど、特に若い世代が注目する韓国。その言葉や文化に関心を持っている人も多いのではないでしょうか。外国語学部の松岡雄太教授は、言語学の視点で朝鮮語、モンゴル語、満洲語の研究に取り組み、朝鮮語の授業だけではなく、韓国の人気作家の翻訳も手掛けています。そんな松岡先生に朝鮮語研究の醍醐味や朝鮮語を学び始めたきっかけをお聞きしました。

他の人とは違うことをしたくて朝鮮語の道へ

——松岡先生が言語学に興味を持ったきっかけを教えてください。

「私は子どもの時から方言の違いを興味深く感じていました。出身は福岡県ですが、都市圏ではなく、小中学生の時は、いわゆる博多弁とも違う方言を話していまして、博多弁は『かっこいいなあ』くらいに思っていました。高校に進学したら、家からさほど距離が離れているわけでもないのに、別の町から通学してきている友人の言葉が自分と微妙に違うことに興味を覚えました。それが言語学者になった原体験なんだと思います」

——なるほど。では朝鮮語を研究対象にしたのはなぜなんですか?

「大学で第二外国語を選択するときに、『人があまり選ばない言語、それもアルファベットを使わない言語にチャレンジしよう』と考え、朝鮮語を選んだのが始まりです。今でこそ韓国人気で朝鮮語を勉強しようという人は増えましたが、当時はそれほどではなく、私が履修した時も教室には4人くらいしか学生がいなかったと記憶します」

——チャレンジャーですね!でもなぜそこから研究者の道に?

「2年次生になり、専門科目の授業で朝鮮語概論を履修しました。教室へ行くと学生は私一人しかいなくて、担当の先生はほぼマンツーマンで指導してくださいました。その先生の知識量は朝鮮語に限らず非常に幅広くて、『言語の分析はこうやってするのか』と得るものも多く、大学院に進学して自分でも朝鮮語を研究したいと考えるようになったんです。4年次生になったときその先生に相談したら『朝鮮語をやるなら、満洲語やモンゴル語もやらなきゃいかん』と言われまして……」

——突然の満洲語とモンゴル語! なぜ朝鮮語研究にその二言語が必要なんですか?

「朝鮮語は日本語と共通点が多いと言われますが、それだけではなく北方言語の要素、つまり満洲語やモンゴル語、それに中国語の影響も大きいんです。その先生はそう言った言語にも目を向けろとおっしゃりたかったんでしょうね。それで満洲語の第一人者の先生がいる九州大学に進学し、研究者の道を歩み始めました」

松岡先生の蔵書の中には、昔、韓国の古本屋で購入された年代物の書籍も

言語は周りの人や文化の影響を受けて変化する

——現在先生が取り組まれている研究テーマはどのようなものですか?

「飽きっぽい性格だからか、これまで色々なテーマの研究をしてきたのですが、ここ数年は文法の変化に注目して研究しています。一言で言うと『なぜ言葉は変わるのか』というのを広く問うているわけです。具体的には、アルタイ諸語と言われるモンゴル語などを含む北方言語群の補助動詞を研究しています」

——補助動詞というと、動詞にくっついて付属的な意味を添えるものですよね。日本語ですと「学んでいる」の「いる」とかでしょうか。

「そうです。アルタイ諸語には補助動詞が比較的多く、日本語にはない補助動詞もあるので興味深いんです。それがどうやって使われているのかを研究する一方で、変化についても調べています。アルタイ諸語を使っている民族の多くは、異なる民族と同じ場所で暮らしていることから複数の言語を使用していることが多く、言語同士の影響もあるのではないかと考えているんですね。またそれを調査することで、言語が現在進行形で変化している姿が見えてくるのではないかとも考えています。もちろん私一人で全部のアルタイ諸言語をやるのは無理なので、他の研究者たちと一緒に取り組んでいるわけですが」

——言葉って、住んでいる場所や接している人の影響で変わっていくものなんですね。朝鮮語にも地域的な違いがあるんでしょうか?

「そうですね。朝鮮語を母語とする人たちが暮らす主だった国と地域は“韓国”“北朝鮮”“中国の朝鮮族自治区”の三つがあり、それぞれ方言的な違いを持っています。中でも私が特に興味深いと思うのは、中国朝鮮族の言語です。発音や文法の違いもありますが、何よりも中国語からの借用語彙が多いのが特徴です」

——そのような言葉の違いをどのように調査されているんですか?

「その言語の話者がいる場所でフィールドワークをします。ただここ数年はコロナの影響で現地に出掛けられず、研究が滞っているのが残念なところです」

——朝鮮語や満洲語、モンゴル語といったアジアの言語を学ぶ魅力はどこにあるとお考えですか?

「私が研究している言語は、英語や中国語に比べて話者が少なく、未知の部分も多い言語です。わからないことが多いということは、それだけ好奇心をたくさん持つことができますよね。ワクワクしながら学べるのが魅力だと思います。

また例えば世界の共通語で話者が多いからという理由だけで英語を学んでいると、多様性を理解する視点を失ってしまう危険性もあると思うんですね。私は、話者が少ない言語を学ぶということは、社会的弱者を理解しようとする姿勢につながると考えています。その民族が使っている言葉を学ぶことで、私たちは彼らの側に立った視点を持つことができるようになります。大国の価値観に飲み込まれて世界が均質化してしまうのを防ぎ、国や民族によって異なる価値観が尊重される社会をつくる一歩につながるのではと思います」

韓国の人気作家キム・ヨンスの作品を翻訳

——先生ご自身が翻訳された小説『波が海のさだめなら(キム・ヨンス著)』が5月に発行されましたね。昨年には同じ作者の短編小説集『四月のミ、七月のソ』も翻訳出版されています。どういったきっかけで翻訳に取り組まれたのでしょう?

「私は言語学者であって文学者ではないので翻訳は本来畑違いの仕事だとは思うのですが、たまたまご縁がありまして。長崎県にある前任の大学にいたとき、キム・ヨンスさんの取材アテンドを引き受けたのがきっかけでした」

——キム・ヨンスさんとは、韓国でどのような作家なのでしょう?

「韓国文学界を代表する作家の一人ですね。彼は1970年生まれで、軍事政権時代の記憶を持つ最後の世代です。今の韓国の若者は物心ついたときには民主化されていたため軍事政権を経験していません。軍事政権時代までを知る世代とそうでない世代とでは、いろいろと認識に差があるのですが、キム・ヨンスさんは作品を通じてこの2つの世代をつなぐ役割を果たしています。また、彼の作品の根底に流れる『他者を理解することが本当に可能か?』『過去のことがどこまで現在に結びつくのか』という文学テーマも広く韓国人の心をとらえているようです」

——そんな韓国の人気作家が、長崎に取材に来たのですか。

「当時彼は長崎を舞台とした小説を構想中で、半年ほど現地取材をしたいので通訳などの手助けができる人を紹介してほしいという依頼がありました。その時、来日前にご本人からプレゼントされたのが『四月のミ、七月のソ』です。今でこそキム・ヨンス作品は私が翻訳したものも含めて7冊が日本で出版されていますが、当時は1冊のみ。なので、アテンドを手伝ってもらう同僚たちにキム・ヨンスさんを紹介する意味も込めて、『四月のミ、七月のソ』を翻訳したのです。もちろんそこには、彼の文学テーマに共感したというのも大きな理由としてありました。

プレゼントされた直筆サイン入り韓国語版『四月のミ、七月のソ』。サインの上には「松岡雄太先生へ」と書かれている

——それで翻訳出版の運びとなったのですか?

「キム・ヨンスさんが長崎にいらしたとき、その翻訳した草稿を記念にと進呈したところ『ここまでやったのなら、出版してはどうか』と本人から勧めていただきまして。私も作品を通じて韓国人の心情のあり方やそこにつながる世代間の歴史を日本の人に知ってもらうことで、両国の深い相互理解につながればという想いがあり、お引き受けしたのです。とはいえ、その頃は今ほどの韓国文学ブームではありませんでした。そのため出版社を見つけるのが大変で、翻訳から出版まで6年もかかってしまいました。『四月のミ、七月のソ』と『波が海のさだめなら』の2冊は、日本での出版をキム・ヨンスさんと約束した作品だったので、今はその約束を果たせてホッとしています」

5月に出版された松岡先生翻訳の『波が海のさだめなら』(左)と、昨年出版された『四月のミ、七月のソ』(右)

「私のゼミでは韓国文学の翻訳も指導しています。学生の多くはポピュラーカルチャーをきっかけに韓国に興味を持っていますが、やはりそれだけでは、第二次世界大戦後の朝鮮戦争と軍事政権から民主化を経て現在に至る韓国の人々の思想や心情を十分には理解できないのではと思います。それらが描かれている韓国文学を通じて韓国の人々を深く理解し、社会人になったときに新しい関係を築く力になればと願っています」

翻訳に挑戦中のゼミ生たち。
【右】日本の統治時代の韓国を描いた名作文学の翻訳に挑戦中の成宮さん「現代韓国語との違いに苦戦していますが、歴史問題もあって一番近くて遠い国が韓国なので、翻訳を通じて理解を深められたらと考えています」
【左】短編集を翻訳中の尹さん。「受験や就職の悩みなど、日本人と同じような生きづらさが描かれているのが興味深いです」
【奥】ファンタジー作品を翻訳中の柴田さん。「日本と似ているようで、考え方や言葉のニュアンスの違いがあるのが面白いですね」

関西大学 外国語学部外国語学科
松岡 雄太 教授

千葉大学文学部卒業、九州大学大学院人文科学府修士課程・博士後期課程修了。文学博士。専門は朝鮮語、モンゴル語、満洲語など東アジアの言語学。長崎外国語大学外国語学部国際コミュニケーション学科講師・准教授を経て、2019年より関西大学外国語学部に着任。2020年4月より現職。

ライター紹介

蔵 麻子

企画編集/ライター

大阪在住の企画編集ライター。世界遺産や絶景を訪ねる旅と美味しいものが好き。取材ついでの寄り道を楽しむ日々。